思想というか、ただ単に悪口ですけどね(笑)
超腹黒人間、赤ペソ先生(@spinf60)です。どうもこんにちは。
混ぜる派?混ぜない派?
我が家では、朝はZIP!を見るのですが、9/15に次のような企画がありました。
どっちがスタンダード? 秋の味覚編|HATENAVI|ZIP!
この中で『ミートソーススパゲティ』の、ソースと麺を混ぜる?混ぜない?というアンケートが出てたんですよ。
結果的には、100人中、混ぜる人50、混ぜない人50でピッタリ半分なのですが、その時我が家の奥様が言ったひとこと。
「カレーとかもだけど、混ぜない派の人はなんで『イヤイヤイヤありえない』みたいな感じで拒否して受け入れようとしないのかな」
そう、これ私も思ってたんですよ。
私は、スパゲティもカレーもガッツリ混ぜる派です。
別に混ぜないと食べられないというわけでもなくて、いい大人なので混ぜなきゃ混ぜなくてもちゃんと食べられるんですけど、麺やご飯に均等に味が付いている状態を楽しみたいので、混ぜているんですよ。
ところが混ぜない派の人はそれが許せないのか「見た目が汚い」とか「ありえない」とか言って拒絶するわけです。混ぜる派の私は「いやいや、混ぜないとかありえないし」などと言うわけもなく「混ぜたほうが美味しいとおもうけど」くらいなもんですよ。
これは、楽しみ方の問題で、そこまで拒絶される話でもあるまい と思うのですけれどね。
追加で番組中、こんなこともしていました。
ちなみに、本場のイタリア人ならどう食べるのか?
実際にイタリア出身者に食べてもらったところ、手際よく混ぜていました!
実は、イタリアンのミートソース「ボロネーゼ」は、あらかじめ混ぜてあるメニュー。
ソースをのせた盛りつけは、日本の洋食屋さんから広まったものだといわれているんです。
混ぜない派からしたら『えぇっ?!』て、なるかもしれないけれど、往々にしてこういうことはあるような気がしますよ。勘違いというか思い込みというかね。
ほんのちょっとした考え方の違いを認めないと、そこから喧嘩になったりしますね。
天国派?浄土派?
さっきの、混ぜる?混ぜない?と同じことが、世界で起きているわけですよ。
例えば、天国という言葉があります。
TVなどで、亡くなられた方を表す時に「天国の◯◯さんが、見守ってくれているでしょう」的な事を言ったりしますが、天国はユダヤ・キリスト・イスラム教の考え方で、仏教では浄土です。
宗派がわからないのに、一緒くたに天国で表現して良いのかなとか思ったりしますが、当の宗派の方々は気にするかもしれませんが、一般人は正直どうでもいい話ですよね。
日本人のこのゆるさ(おそらく神道由来)は好きです(笑)
スパゲティの話と同じで、他者の思考や信念を許せない人が、自分の考えているものが正しいとして押し付けてくる。
そういった、きっかけは小さなものなのでしょうけれども、ホントにね大きな話になりますけど、戦争の始まりではないかと思うのです。
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教なんて、同じ神を崇めているのに、預言者が違うとか、解釈が違うとか、もうアホかと。
もうちょっと、ゆるく考えられないのかと。
こちらは、多様性を認めているのに、なぜ多様性を認めないのだと宗教がらみのテロが起きるたびに思います(あれ、これもおしつけか?)。正直、人の命を奪ってまで広めるべき宗教なのかなと思うね。
あーあ、今回もオチがつかなかった。
まとめ
まとめ、とか書いてますが、ここからは完全にグチという名の悪口なので読まなくても結構です(笑)
我が家は、古くから浄◯真宗なのですが、本山の屋根瓦を吹き替えたいから瓦代懇志くださいとか、それが終わったら、自分とこも雨漏りするから瓦葺き変えたいので懇志くださいだとか、跡継ぎの坊さんが帰ってきて部屋を増築するので懇志くださいとかいうて、懇志懇志いうて、金をとりに来るわけですよ。
懇志(寄付)だから出さなくても良いのかと思えばそういうわけではなくて、各戸◯万円とか、割り振られてたりしてね、私は腹黒いので
『そういうのを見越して貯金しときなさいよ』とか
『本部は金持ってるだろうに、末端から金とるなんて、やく◯と同じじゃないか』とか
『そもそもうちのほうが懇志してもらいたいわ』だとか
『一般家庭みたいに30年位で住宅ローンを組みなさいよ』とか常々思っているわけです。
思っているだけですよ、思ってても言いませんけれども。
今度、懇志依頼が来たら『お金がかかりすぎるお寺はやめます』と言いたいところです。
元々神棚もあるので神道に鞍替えだ!
そうすると「ご先祖がを大事にしないと罰が……」とか言われそうですが、なにも先祖を大事にしないわけではないのです。先祖は大事に思っているのだが、ただの企業になってしまったお寺からはMNPしてもよいのではないかと思うのであります。
なんだよ 寺からMNPて。
ふと思い出しましたが、宗教評論家の ひろ・さちやさんが言うておりましたよ。
お金がかかる宗教はニセモノだとか(この場合のニセモノ宗教とは、お金を出せば病気が治りますよとか、現世利益が有りますよとか言うものでしょうけれどね。けど南無阿弥陀仏を唱えると極楽浄土にいけますよも同じような気がしないでもないけど)
幸せ職場コーチング 葦塾(よしじゅく) : この世の欲に縛られるな
私は、現在の日本の宗教というかお寺は、葬式のためだけのものでしかないような気がしています。
調べたところ、神前結婚式があるように、神式の葬儀、神葬祭もあります。
人は死後、仏教ですと極楽浄土に行けるか行けないかヤキモキしなければいけませんが
神道においては、「人はみな神の子であり、神のはからいによって母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界へ帰り、子孫たちを見守る」ものと考える。よって、神葬祭は故人に家の守護神となっていただくための儀式である。
故人が極楽に行けるか心配しなくても、家に神様としていてくれるなら良いじゃない!などと思ったりしますがいかがですかね。
最近では、核家族化や独居老人などの増加でお墓を維持する人がいないので、樹木葬なんてのも出てきていますよね。
そうなってくると、『もう、宗教関係ないじゃん』と、私は思います。
これから樹木葬が増えそうな気配がしますよ。宗教に固執している場合でもなくなっているような気がしますね。
そんなわけで、全然まとまらなかった今回の話はいかがでしたでしょうか。
(いかがも何もないよ というのは十分把握しています(笑))
そんなわけできょうの備忘録はここまで。
最後までご覧いただきありがとうございます。
またどこかの備忘録で(^_^)/~